『天皇の国史』①岩宿時代以前
テーマ選びの理由
日本史
本記事はカテゴリー "Intelligence" の1本目の記事です。
intelligence の意味は基本的には「知能」や「知性」を意味します。一方、安全保障・軍事の世界においての意味は敵や国際情勢などに関する「情報収集」や「情報分析」の意味を持ちます。
"Intelligence" の前半の意味である「知性」を養うことが最初の一歩です。まずは自分の国の歴史を知り、日本がどんな国で、日本人とは何なのかを理解するところから始めたいと思います。
『天皇の国史(竹田恒泰)』
日本史を学ぶ上で教科書として選んだのがこの本です。
私は竹田恒泰さんの書いた『天皇の国史』を読み、日本の歴史が好きになりました。この本は、「日本人に生まれて本当に良かった〜!」と思わせてくれる1冊です。
ということで、『天皇の国史』を教科書として勉強していきたいと思います。
『天皇の国史』第1回は「岩宿時代以前」です。人類の起源、日本の始まり、神話が中心となります。
人類の起源
定説はない
現代科学では、人は猿から進化したという進化論が有力な学説として主張されています。チャールズ・ダーウィン(1809-1882)が主張した「ダーウィンの進化論」で、これが現在の生物学の基礎になっています。概ね以下の内容です。
生物は子孫を残さなければ絶滅する。これが自然淘汰(自然選択)で、故に、今存在する生物は環境に適応できた結果、淘汰されずに生き抜くことができた生物であるという。
時にある種の突然変異体が生まれ、環境適応に成功するとその子孫は生き延び、その変化した種が存続することとなる。
そのような自然淘汰が途方もない長い時間継続したことでヒトも出現したとされる。 ※引用元:P20
ただし、この進化論には批判も多く今なお論争が続いています。その理由は宗教的なものもありますが、ヒトという複雑な生命体が誕生するためには地球の寿命である46億年では短すぎるといった科学的視点による指摘もあります。
分子生物学
古代の時代の話で登場するのが、分子生物学です。その名の通り、生物を分子のレベルで解明する学問だそうです。
分子生物学の発展により、古人骨から採取したDNAをも解析できるようになったため、従来の人の起源について大幅な修正がされることとなりました。結論から言うと、この図は誤りです。
分子生物学によるミトコンドリアDNAの解析が可能となり、現生人類は全て20万年〜10万年前にアフリカで出現し、約6万年前にアフリカから世界中に広がっていったと言う「アフリカ単一起源説」で決着しています。
そのため、「猿人」→「原人」→「旧人」→「新人」という順番に進化してきたという「単一種新仮設」は完全に否定されています。
ただ、分子生物学者の村上和雄氏によると、人類の存在は進化論では十分に説明できず、もし最初の人がいたとしても、その遺伝子を書いたのは人ではないことは確実であるとし、その存在を「サムシング・グレート」(何か偉大な存在)と述べています。
このように、人類の起源は最新科学をもってしても、まだ分からないことが多くあり、完全には解明されていません。
世界最古の磨製石器は日本で発見
昭和21年(1946年)相澤忠洋氏
世界最古の磨製石器は日本で出土しています。私は知りませんでした。大変びっくりしています。
当時、アマチュア研究家だった相澤氏は、群馬県岩宿遺跡の関東ローム層の中から石器を掘り出し、我が国の考古学史上の大発見となりました。
岩宿遺跡から出土した磨製石器は約35,000年前のもので、その後も同年代や、更に古い年代の磨製石器が次々と、日本全国の遺跡から出土しています。
打製石器と魔性石器
砕いただけの石が打製石器で、砕いて磨いて形を整えていた石が磨製石器です。下記の図は岩宿遺跡から出土した石器です。中には鋭く磨がれた魔製石器がありますね。
そして、大事なポイントはここです。
磨製石器の出現は、考古学上、文明成立の1つとされていて、日本列島は世界に先駆けてこの条件の一つを満たしたことになります。つまり、日本の歴史は、世界で最も古く、この磨製石器を作り始めた "35,000年前" から始まっているということです。
「おー、すごいね、日本人!」と、私は感動しました。
世界最古の釣り針も日本で発見
平成28年(2016年)沖縄県南城市のサキタリ洞で、約23,000年前の地層から、ニシキウズ科の巻貝で作った貝製の釣り針が発見されました。それまでの世界最古の釣り針は、パプアニューギニアの約18,000年前でしたので、約5,000年も歴史が遡ったことになります。
今度、沖縄に行く機会があれば、是非訪れてみたいものです。ちなみに、実際のサキタリ洞はちょっと幻想的な感じのする場所のようです。
日本の神話
『古事記』の世界観
我が国に現存する最古の文書である『古事記』は天地初発の物語から始まります。これがその最初の一文です。
天地が初めて発れた時、高天原に成ったのは天御中主神でした。
(現代語訳、『現代語古事記(竹田恒泰)』) ※引用元:P12
つまり、天地が初めて出現したときに、高天原(天空世界)に最初の神(天御中主神)が現れたと表現されています。『古事記』の世界観においては、先に宇宙(天地や高天原)があり、後から神が誕生したとされています。
キリスト教の神と、古事記で描かれている神の違い
『古事記』では、先に宇宙があり、後から神が出現したとされてます。一方、キリスト教の『旧約聖書』の世界感では、全知全能の神が宇宙空間を創ったと説いています。
『古事記』における "神" と『旧約聖書』におけるの "神" は全く異なる存在なのです。
キリスト教の神は全知全能なのに対し『古事記』の神々は、時に過ちを犯すこともあり、人間的である。キリスト教では神は神、人は人であり、神が人になったり、人が神になったりすることはない。だが『古事記』の世界観では神の子孫が人であり、日光東照宮に徳川家康が祀られているように、人が神になることもある。 ※引用元:P15
キリスト教との世界観の違いを知る
神の位置付けが違えば、大自然に対する考え方も、また異なります。『天皇の国史(竹田恒泰)』では、下記のように説明しています。
- キリスト教的世界観は「神→人→自然」
- 日本の神道的世界観は「自然→神→人」
『旧約聖書』によると、神は天地万物の創造主であるから(略)、神は自らの姿に似せて作った「人」には特別の思いがあったようで、大自然の管理を「人」に委任し、食料として動植物を「人」に与えたと記述されている。 ※引用元:P15
他方、神道的世界観によると、人の祖先は神であり、神は大宇宙あるいは大自然のエネルギーが作り出したものであるから、序列は「自然→神→人」となる。(略)
また、この価値観において、日本人は山には山の神、海には海の神、また木の1本1本に神を見出すように、大自然に神の姿を見ている。「神」と「人」の垣根は曖昧であるのと同じで、「自然」と「神」の間も曖昧である。 ※引用元:P16
このように、日本人にとっての神は、大自然や宇宙そのものであり、キリスト教徒にとっての大自然は人間が管理を委任されているものですから、価値観が全く異なります。
神代の系譜
「男系」で繋がる伊邪那岐神と神武天皇
伊邪那岐神から神武天皇に至るまでの、神代の系譜図を掲載します。※引用元:P66の図表5
終わりに
ここまでが、岩宿時代以前の概要です。
世界最古の磨製石器は日本で出土していること。最新の科学によって歴史は変わっていること。日本人の神に対する考え方、キリスト教の神に対する考え方は違うということ。
私の知らないことがたくさん書いてありました。本当に勉強になります。
次は縄文時代について書いていきたいと思います。