『天皇の国史』⑨室町時代
はじめに
日本史
本記事はカテゴリー "Intelligence" の記事です。
intelligence の意味は基本的には「知能」や「知性」を意味します。一方、安全保障・軍事の世界においての意味は敵や国際情勢などに関する「情報収集」や「情報分析」の意味を持ちます。
"Intelligence" の前半の意味である「知性」を養うことが最初の一歩です。まずは自分の国の歴史を知り、日本がどんな国で、日本人とは何なのかを理解するところから始めたいと思います。
『天皇の国史(竹田恒泰)』
日本史を学ぶ上で教科書として選んだのがこの本です。
私は竹田恒泰さんの書いた『天皇の国史』を読み、日本の歴史が好きになりました。この本は、「日本人に生まれて本当に良かった〜!」と思わせてくれる1冊です。
ということで、日本の歴史について、『天皇の国史』を教科書として、今さらながら勉強し直しています。下記に過去記事のリンクを掲載しておきます。
- 『天皇の国史』①岩宿時代以前
- 『天皇の国史』②縄文時代
- 『天皇の国史』③弥生時代
- 『天皇の国史』④古墳時代
- 『天皇の国史』⑤飛鳥時代
- 『天皇の国史』⑥奈良時代
- 『天皇の国史』⑦平安時代
- 『天皇の国史』⑧鎌倉時代
今回は第9回ということで、「室町時代」です。
室町時代
室町幕府は第3代将軍足利義満の頃に絶頂を迎え、南北朝合一を果たし、義満の死後、幕府の力は衰えていきました。
その後、応仁の乱を経て戦国時代へと突入しますが、1573年、織田信長によって第15代将軍足利義昭が京都から追放され、室町幕府は滅亡します。
足利尊氏が征夷大将軍に任命された1338年から1573年までの235年間を室町時代と呼びます。
北朝の皇位に正当性はあるか
室町時代の初期は朝廷が南朝と北朝に分かれる南北朝時代でもありました。
第96代後醍醐天皇(1318年~1339年)が京都から三種の神器を持ち出して、吉野に開いたのが南朝です。
そのため、北朝には三種の神器がありませんでした。
悪しき先例
後続以外の者を治天の君として天皇を任命してしまった。悪しき先例を作った。
南北朝時代の終焉
1392年、足利義満は第99代後亀山天皇と同意を取り付け、南北朝統一を果たしました。
この時、後亀山天皇が京都に戻り、三種の神器を後小松天皇に継承して譲位しました。これは、南朝が保持していた三種の神器が真正なものであると、幕府と北朝が認めたこととなります。
皇位継承の3ステップ
P364、皇位継承図を見ると、北朝の天皇には第〇〇代と記述されていない。なぜなら、三種の神器を欠いた践祚だったからです。
足利義満
皇位簒奪を目指した
所説あり、でも、そう取られても仕方ないことを、たくさんやった。事実を並べ、そう推測するのは仕方のないことだ。
日明貿易でぼろ儲け
第4代将軍足利義持
P358日明貿易を辞める。
朝廷と幕府の融和を重視した。
皇統断絶の危機
後花園天皇応仁の乱
日明貿易を辞めたことで、室町幕府は財政難に陥り、力を失くしていきました。
寛正の大飢饉なども重なり、幕府は事実上機能を停止していました。
京都を戦場とした10年にも及ぶ戦乱だった。
戦国時代
各地では身分を問わず実力を持った者が国を支配するようになり、戦国大名と呼ばれるようになりました。
1573年、織田信長は第15代将軍足利義明を京都から追放した。
ここに230年続いた室町幕府は滅亡しました。