ほんとうの憲法(篠田英朗)

はじめに

私の日本国憲法に対する理解度

これまでの人生において、まともに日本国憲法を読んだことがありません。日本国憲法の前文の内容も第1条の中身も知りません。というのが私の出発点でした。

いい歳して、自分の国の憲法について知らないとは恥ずかしいですね。

ほんとうの憲法(篠田英朗)

この本を知ったきっかけは、経済評論家の上念司さんの紹介によるものです。

まずは、色々な本を読んで歴史、憲法についての理解を深めたいという思いで読みました。とても勉強になったなと思っています。

日本国憲法の前文

日本国憲法の全文が掲載されているURLのリンクを掲載しておきます。

以下、日本国憲法の前文です。

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

日本国憲法の章構成

日本国憲法は以下の11章から成ります。一番有名なのは「第二章第九条の戦争の放棄」でしょうか。

題名
第一章天皇(第一条~第八条)
第二章戦争の放棄(第九条)
第三章国民の権利及び義務(第十条~第四十条)
第四章国会(第四十一条~第六十四条)
第五章内閣(第六十五条~第七十五条)
第六章司法(第七十六条~第八十二条)
第七章財政(第八十三条~第九十一条)
第八章地方自治(第九十二条~第九十五条)
第九章改正(第九十六条)
第十章最高法規(第九十七条~第九十九条)
第十一章補則(第百条~第百三条)

日本国憲法への印象

日本国憲法の前文を読んでいると、なんだかgoogle翻訳で何かを読んでいるような感覚になってしまいました。

憲法がいったいどういった原理に基づいて書かれているのか、憲法の基本方針が前文に書かれています。『ほんとうの憲法(篠田英朗)』の内容は、この前文についての解釈から始まります。

日本国憲法の前文に対する解釈

以下、筆者の主張を正確に理解できているか不安ですが、まとめてみたいと思います。

法解釈の態度

これは筆者の主張の根幹をなす部分であります。

やはり法律が目指している目的を理解することがとても大切である。目的を達成できるように法律を解釈するのが正しい態度であり、目的達成を阻害するような解釈は正しくないと言い切ってよい。

これは会社の経営理念と同じでことでしょうか。会社が目指す目標、実現したい内容が経営理念として存在し、その経営理念に沿った形で個々の具体的な行動方針(憲法で言えば条文)が示されます。

それと同じように日本国憲法を解釈しようということと理解しました。

日本国憲法の目的

日本国憲法の前文のどの部分に目的が書かれていますでしょうか。

筆者は冒頭の一文

諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすること

が日本国憲法の目的にあたると述べています。短く要約すると以下の3点です。

  • 諸国民との協和
  • 自由の恵沢の確保
  • 戦争の回避

このように理解することは、日本国憲法の前文の内容をほぼそのまま文字通りに解釈していると言えるでしょう。

日本国憲法の原理

日本国憲法の前文のどこに原理が書かれていますでしょうか。それは2つ目のセンテンスにありました。

国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。

バッチリ原理が書かれていますね。そして筆者の言う通り、日本国憲法において、このように明晰に示されている原理は他にありません。それは、日本国憲法のリンク先で【 ctl + f 】で「原理」を検索をかければ明らかであります。

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このように日本国憲法の前文のみにしか、"原理" という文字列はヒットしません。ゆえに、日本国憲法をそのまま解釈するとならば、原理は一つ「国政は国民の厳粛な信託による」です。

日本国憲法の原理「国政は国民の厳粛な信託による」の意味

では、この原理はどのような意味でしょうか。筆者は以下のように述べています。

「信託」とは、政府と人民が「契約」関係にあることを示す概念である。そして、社会構成員全員が平等に参加する社会を設立するための「社会契約」に加えて、統治構造を設立する人民と政府の間の「統治契約」の二重構造を内包した、たとえばジョン・ロックの議論に代表される、英米思想に特徴的な社会契約論である。

正直、ちょっと私には難しい内容でした。社会契約論の中身を知らないためです。こういうときに、中学高校の頃にちゃんと歴史の勉強をしていればと後悔します。この辺りの勉強もしないといけないですね。

現実に即して憲法を捉え直す

日本国憲法を【ctl + f】で「法則」検索すると以下の前文に書かれている一文のみがヒットします。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

筆者はこの内容の意味するところを国際協調主義と述べています。

日本は憲法制定時、まだ主権を回復していませんでした。占領下で憲法が成立したことを考えると、この前文の意味は「政治的な意図」も含んでいました。

日本は侵略戦争を起こし「政治道徳の法則」に従う「責務」を果たさなかったため、「自国の主権」を奪われてしまいました。日本は独立国家として国際社会から認められていない存在でした。そのため、国際協調主義の法則に従うと憲法に明記しそれを遵守することが、国際社会に独立国として認めてもらうための必須条件だったのです。

敗戦後の日本の置かれた状況を考えて、どういった意図が働き日本国憲法が制定されたのか、ということをきちんと知らなければいけないと思いました。

日本国憲法の前文は政策方針、条文は目的達成のための手段

筆者の主張でもう一つ共感できたことは、プロセス重視ではなく結果重視で捉えるということです。

日本国憲法は、その前文において、原理「国政は国民の厳粛な信託による」と原則「国際協調主義」に従い、3つの目的「諸国民との協和」「自由の恵沢の確保」「戦争の回避」を達するという政策方針が書かれいます。

そして、前文から続く条文は具体的な行動方針か書かれているということです。

以上が主に憲法の前文についての解説でした。本書の中ではもっと詳しく説明されています。

日本の憲法学会

日本の憲法学について

日本社会における憲法学者とは、東大法学部を頂点とするコミュニティを指します。憲法学者の書いた基本書の通りに解釈しなければ、司法試験も受からず、公務員意見も受かりません。そして、学会、官僚機構、政界に大きな影響力を持っています。

美濃部達吉(1873-1948)

東大法学部の教授で、天皇機関説事を説いた人物です。

東京大学法学部で憲法学を学ぶ者は、「天皇機関説事件」で不当な排撃を受けた美濃部達吉の弟子だということになっている。実際に弟子であるか、そうでなければ精神的に弟子である。

と、本書で書かれています。

宮沢俊義(1899-1976)

八月革命説で有名な人物です。内容は以下のようなものです。

「国民」は戦前に抑圧されていたが、戦後に「主権者」となった、という歴史物語を構築することである。日本国憲法は革命の最高の表現であった。「押しつけられた」憲法を嫌うのは、戦前に権力者であった者たちである。したがって改憲は、戦前の権力構造の復活につながる。

八月革命説では戦前の日本国憲法は国民を抑圧する悪いもの、逆に日本国憲法は権力者を抑えるためのものだから素晴らしいもの、とする考え方です。しかし、敗戦直後、宮沢は「ポツダム宣言を考慮しても新憲法は必要ではなく、大日本帝国憲法の適正運用で十分だ、という立場」でした。

宮沢は、戦時中は体制迎合的な言説を繰り返していた〔*87〕。宮沢によれば、「実際に確立することのできる平和は、すべて……武装せられた平和」である〔*88〕。
その宮沢は、1941年12月8日の日米開戦を、「最近日本でこの日くらい全国民を緊張させ、感激させ、そしてまた歓喜させた日はなかろう」という気持ちで迎えた。「とうとうやりましたな、……来るべきものがつひに来たといふ感じが梅雨明けのやうな明朗さをもたらした……。この瞬間、全国の日本人といふ日本人はその体内に同じ日本人の血が強く脈打つていることを改めてはつきりと意識したに相違ない。……それから息を継ぐひまもなく、相次ぐ戦勝の知らせである。……気の小さい者にはあまりにも強すぎる喜びの種であった」と宮沢は記した。
宮沢の世界情勢分析によれば、「東洋の国家の代表選手としての日本がその歴史的・宿命的な発展を遂行することは必然的にアングロ・サクソン国家の東洋に対する支配といふものを排除することを意味する。……アングロ・サクソン国家は近年はあらゆる問題について国際的現状維持をもつて国際的正義なりと主張して来た。しかし、考えてみるとこんな虫のいい議論はない。……アングロ・サクソン人のかういふ虫のいい考へが根本的に間違つてゐることをぜひ今度は彼らに知らせてやる必要がある。……願はくはこのたびの大東亜戦争をしてアジヤのルネサンスの輝かしき第一ページたらしめよ〔*89〕」。
こうした考え方で戦時中を過ごした宮沢が、敗戦直後の時期に、ポツダム宣言を考慮しても新憲法は必要ではなく、大日本帝国憲法の適正運用で十分だ、という立場をとったことは、不思議ではない。いわゆる「松本委員会」の守旧的な改正憲法案を起草したのは宮沢であった〔*90〕。

"大日本帝国憲法の適正運用で十分だ" と八月革命説の内容は矛盾します。宮沢俊義とは、どういう人物だったのか、考えさせられますね。

最後に

やはり、まずは日本の歴史を学ぶことが必要だなと思いました。

そして、大日本帝国憲法をちゃんと知ってから、日本国憲法を改めて学んでみたいと思います。