インテリジェンスと保守自由主義(江崎道郎)
インテリジェンスと保守自由主義(江崎道郎)
近年、日本もスパイ防止法を作った方が良い、米国CIAのような諜報機関を作った方が良いという言説を目にすることが増えています。
理由はお隣の中国が世界の覇権を握ろうと、超限戦といって平時における多種多様な対外工作活動を仕掛けてきているという背景があります。
政治・経済・領海・領空・サイバー空間・SNS・宇宙空間・文化歴史、これらが現代戦の舞台となります。
その戦いを有利に進めるために必要なのが「情報」です。
ゆえに、CIAのようなインテリジェンス機関(諜報機関)の必要性が高まっているのです。
私はこのような理由から本書に読むに至りました。
インテリジェンス機関は慎重に運用すべき
筆者は、ただ単に、CIAのようなインテリジェンス機関を作れば良いというものではないとしています。
なぜなら、インテリジェンス機関は軍隊と同じく巨大な力を持つことになるため、その暴走をいかに食い止め、コントロールするのか、ということが重要だからです。
軍隊と同じくインテリジェンス機関もまた、国民の理解を指示のもとで運用されるべきであると述べます。
インテリジェンス機関が悪用されたケース
旧ソ連やその衛星国では、インテリジェンス機関が共産党の手足となり、国民の自由と人権を侵害し、弾圧する機関となってしまいました。
中国や北朝鮮において、その悲劇は現在進行形で続いています。
そうならないために、インテリジェンス機関をどのように使いこなすべきか、それを考えるきっかけになるのが本書です。
インテリジェンス機関の役割
まずは、インテリジェンスとは何か、ということから。
インテリジェンスに関する3つの定義
オックスフォード大学のマイケル・ハーマン教授のインテリジェンスに関する3つの定義がこちらです。
- 第一に、インテリジェンスとは、国策、政策に役立てるために、国家ないし国家機関に準ずる組織が集めた情報の内容を指します。 いわゆる「秘密情報」、あるいは秘密ではないが独自に分析され練り上げられた「加工された情報」、つまり生の情報を受け止めて、それが自分の国の国益とか政府の立場、場合によると経済界の立場に対して、「どのような意味を持つのか」というところまで、信ぴょう性を吟味したうえで解釈を施したもの。
- 第二に、そういうものを入手するための活動自体を指す場合もあります。
- 第三に、そのような活動をする機関、あるいは組織つまり「情報機関」そのものを指す場合もあります。
ソ連・コミンテルン3つの秘密工作
国際社会でインテリジェンス機関が注目されるきっかけとなったのが、1919年に創設されたソ連・コミンテルンです。
そのコミンテルンは3つの秘密工作を使って、世界各国に共産化革命を実現しようとしました。
- スパイ工作 国家の機密情報を盗む、政府要人を自国のスパイに仕立て上げるなどの工作活動です。
- サボタージュ(破壊工作) 政府要人の殺害、鉄道、水道、電力、通信網を含めたインフラの破壊、サイバー攻撃など、広い意味でのテロや破壊工作を指します。
- 影響力工作 世論誘導やプロパガンダによって自国に有利な考えを一般国民に浸透させいく工作を指します。
インテリジェンス機関の役割
この3つを組みあせながら「関節侵略」を仕掛けてくるのに対して、どのように対抗するのかを考え、実行するのがインテリジェンス機関の役割です。
日本におけるインテリジェンスの歴史
さて、日本のインテリジェンス機関の歴史はあまり広く知られていないように思います。
- 明治4年(1971年) 内務省に東京警視庁に「外事係」が置かれます。尊王攘夷運動の関係で外国人が狙われ、生麦事件や英国領事館焼き討ちなどの事件も増え、外国から莫大な賠償金を請求された、という背景がありました。外国人をきちんと保護する、という目的で運用されていました。
- 明治32年(1899年) 内務省に「外事警察」が創設、要塞地帯法、軍事機密保護法が制定されます。この年は治外法権が完全撤廃された年で、これにより外国人の不法行為を独立国家として裁くことが出来るようになりました。外国人スパイを取り締まる仕組みは出来上がりましたが、担当者が少なくマンパワー不足でした。
- 大正9年(1920年) 内務省警保局に「外事課」を新設しました。大阪、兵庫、長崎、神奈川、北海道など外国人が入国する国際港に外事警察の拠点を作りました。大正6年(1917年)ロシア革命、大正11年(1922年)ソビエト社会主義共和国連邦が成立し、「赤化思想」の流入を防止するという目的がありました。
- 大正13年(1938年) 主要都道府県に「特別高等警察課」を設置し、それを統括するため内務省警保局に「保安課」が創設されました。ウラジオストク、ハルピン、上海にも「特別高等警察課」の支部が置かれましたが、ソ連・コミンテルンの活動拠点と一致します。この頃は、国際共産主義スパイに対抗することが最大の目的でした。
- 昭和20年(1945年) 大東亜戦争で日本は敗北します。ポツダム宣言にある「軍国主義的勢力を永久に排除」という一説に基づき、外事警察は廃止されます。併せて、要塞地帯法、軍事機密保護法など、スパイを取り締まる法律も全部廃止されてしまいます。しかし、昭和天皇、吉田茂首相、GHQ内部の反共保守派が連携し、日本の共産化を阻止するため、警察の中に「保安課」を作りました。
- 昭和46年(1971年) 共産主義革命を目指す日本赤軍を始めとする極左グループに対応するため、世界各国の治安機関との協力関係を強化せざるを得なくなりました。
- 昭和63年(1987年) 梶山静六国家公安委員会委員長が政府として、北朝鮮による拉致の疑いがあることを政府として認める答弁を行いました。昭和62年(1987年)11月に起きた大韓航空機爆破事件で、金賢姫という女性が、北朝鮮によって拉致された日本人から日本人化教育を受けた旨の供述を行ったことから、拉致問題が浮上しました。この事件を契機に警察は、拉致問題について徹底的に調査しました。
日本のインテリジェンス機関の歴史から分かる2つの事
筆者の江崎道郎氏は以下のように述べています。
第一に
戦前のソ連・コミンテルン、戦後の日本赤軍、北朝鮮による拉致問題は、いずれも共産主義に関係しています。つまり「国際共産主義の脅威にどう対応するのかということと、外事警察、スパイ取り締まりとは不即不離の関係にある」のです。
第二に
対外インテリジェンス機関の体制強化は個別具体的な脅威や課題に取り組む中で発展してきた。つまり「危機管理、テロ対策などへの世論の関心を高めることが結果的に、日本政府のインテリジェンス機能を高めていくことになる」のです。
世界のインテリジェンス機関は、いつ始まったか
世界的に貿易が盛んになり、情報が行き来するようになりました。
そして、それを利用して他国を脅かそうとする者が現れました。
インテリジェンス機関はそのような環境で必要とされ、同時に発展してきました。
よって、主だったところは、20世紀に入ってからです。
- アメリカ FBIの前身である捜査局(BIO)は明治41年(1908年)に設置されました。
- イギリス 秘密情報部(SIS、通称MI6)ができたのは明治41年(1908年)頃と言われています。
- ソ連 コミンテルンが創設されたのは大正8年(1919年)です。
国家安全保障会議(NSC:National Security Council)
日本には省庁を横断して国家戦略を考える仕組みが、必ずあるものだと思っていた私が間違いでした。
第二次安倍政権が平成25年(2013年)に国家安全保障会議を創設するまでは、ガチでなかったのです。
国家戦略を考える仕組みがなかったということは、時の総理大臣の思い付きで日本のかじ取りを行ってきたということです。
長期的に国家をどのように運営するのか、その戦略がなかったのです。
会社に例えると、長期計画、中期計画が無いということなので、この事実はゾッとするような事かなと思います。
戦後61年
大東亜戦争に負けたのは、結局のところ、国家としての戦略の欠如それ自体が原因です。
戦う相手を間違えたことが敗戦の原因です。
戦う相手を間違えた、ということは、当時の日本政府の戦略が間違っていたということです。
それに気づき、最初の一歩を踏み出すまでに、61年という月日が必要でした。
国家安全保障会議を知らない国民
おそらく、国家安全保障会議を知っているのはごくわずかな国民だけでしょう。私ですら最近知った程度です。
これをもっと広めるようにしていかなければいけません。
日本は世界をリードする国に
憲法9条に賛成か?と祖父(93歳)に聞いたことがあります。その時の言葉は今でも私の胸に残っています。
「憲法9条は変えなければいけない、日本が世界をリードする国になるためにはそれが必要だ」
日本が世界をリードするためにはそれが必要だ、という言葉が印象的でした。私は今でも日本が世界をリードする国であって欲しいと心から願っています。
ただ、外国の脅威に毅然として立ち向かい、この世界で正論を通すためには、日本は経済的にも、軍事的にも強くならねばなりません。
そして、彼を知り己を知れば百戦殆からず、自国だけなく他国の事情にも詳しくなる必要があり、そのために必要なのがインテリジェンス機関の体制強化です。